私の両親、パート1

私の両親の事をお話します。
母は、中学校を卒業してから、結核にかかったそうです。この頃の結核は、死の病として恐れられていました。

母は、6年間患い、ストレプトマイシンと言う新薬が出始め、治ったそうです。
若いのに大病をしたため、未来に希望が見出だせなかったそうです。

実家で養生をしていた時に、宗教に出会いました。
身体も回復してきたので、花嫁修業に習い事をしていたそうです。

洋裁を習っていた先生の紹介で、父と見合いをしたのです。母は、信仰をしていたので、見合いの時、その話をしたそうです。父は、反対する事なく結婚は、トントン拍子に進みました。

お互い同い年で、父は、実兄の電気屋に勤めていました。経営は上手くいかず、父は、失業し、母の実家に世話になりました。母の実家は、真珠の養殖件ブローカーをしていました。

父は、商売人でした。度々、上京しては、宝石のケースを頼まれて買ってきたのです。

父は、野心家でした。田舎の生活は、退屈だったのかもしれません。毎日、ブローカー仲間を連れてきては、麻雀をしていました。

母は、世間知らずのまま育ちました。母は、厳しい父に付いていけなかったのだと思います。
次第に、寂しさを紛らわす為に、更に宗教にのめり込みました。

父は、父で、単身上京し、宝石の商売を始めました。
父は、宗教にのめり込む母に、嫌悪感を抱くようになりました。

基本的に、母は従順でした。父が、宗教を反対するなら、止めると言うスタンスでした。
でも、一緒に生活していないから、止めないで内緒で信仰をしていました。

たまに帰ってきて、ばれてケンカになる。今度は
本当に止めるごめんなさいと謝り、又、帰省しては、バレる。

我が家の宗教戦争は、その繰り返しでした。

私は、父が帰って来る前、宗教関係のグッズは、全て隠しました。母は、アバウトなのですぐバレてしまう。
地元の人は、何も知らなくて、誘ってきます。

私は、父が帰って来るのは、嬉しいけど、東京に帰ってしまうのも嬉しい。そんな奇妙な感覚でした。

私にとって父が、帰って来るのは、非日常だったのです。
しかも、父は、綺麗好きで、潔癖症の部分もありました。
母は、綺麗好きとは、言えず その掃除も大変でした。
毎日、一緒に生活していなかったので、たまに帰省する時はなるべく、機嫌良く過ごして欲しい。

私は、家族ごっこ遊びをしている感じでした。

私が、両親の危機を感じた一番古い記憶を次回は
お話します。
本日も、有り難うございました😄