私と宗教

私は、幼い頃、身体が弱かったので、母親っ子でした。母は、専業主婦で、内職をしていました。

時間があれば、宗教の集会所に行きました。初めは、母と一緒に居たくて私も同伴していました。
やがて、一緒にお経をあげたりするようになりました。
私は、集会所の2階の部屋が好きでした。宗教の月刊誌のバックナンバーがズラリ並んでいました。
私は、それらの本の殆どを制覇しました。

私は、真面目に真理を追求したかったのです。やがて、母が行けない時でもお経をあげに行くようになりました。家でも、お経をあげるようになりました。

ただ、私は、他の本も沢山読んでいました。なので
疑問も沢山感じました。

疑問を聞いても、母は、答えられません。私は、暗黒時代の小学校3年生の時、苛められていると、母に訴えました。

母の答えは、いつも同じです。「貴方は、前世に行いが悪かったから、今世身体が弱いの。苛める人も、貴方が前世で苛めたからよ。相手を恨まないで我慢しなさい。」

私は、次第にそう思い込んで、自分を卑下するようになりました。自己主張が出来なくなりました。

でも、良く考えたら、それっておかしくない?
身体が弱い事が悪?
苛める人は、苛めている意識がない。想像力の欠如じゃない?

私は、物事を善、悪だけで判断できないと思う様になりました。
単純な道徳教育の教えに疑問を感じました。

私は、真理を探求したい。でも、宗教組織に属する事に、矛盾を感じました。

私は、次第に母の信じている宗教から、距離を置き始めました。ただ、宗教組織を批判する気はありません。

みんなが輪になって座り、それぞれの悩み事を話し、幹部の人は、傾聴して、アドバイスをする。
これは、カウンセリングだと思います。

母は、人の悪口は言いませんでした。いつも、感謝の言葉を口にしていました。

宗教に関しては、頑固でした。でも、それ以外は、穏やかでした。最後は、老人ホームに世話になりましたが、愚痴を聞いたこともありません。

人に対する執着心は無く、子供への執着心もありません。
私の根本的な考え方に、母の遺伝子を感じます。
母は、最後まで、幸せだったと思います。

本日も、有り難うございました😄

次回は、東京物語に突入します。お楽しみ下さい😄