ヨシさんが亡くなってから2ヶ月経ちました。
ヨシさんが亡くなってから、2ヶ月経ちました。私は、会社まで自転車で通える場所にアパートを借りました。
社長は、会社に通って仕事をすればと言ってくれましたが、私は、自宅で仕事をする事にしました。
会社で仕事をすると、つい話をしてしまいはかどらないと考えました。
長年自宅でしてきたので、自分の生活パターンがありました。ただ、この頃は、昔程枚数をあげられなくなっていました。
ただ、翌年は、郵便局の簡保が満期になるし、少しヨシさんの生命保険も降りたので余裕がありました。
私は、逆に仕事をセーブして、パソコン教室とヨガ、着物の着付けを習いに行きました。
この頃には、数独を全て捨てました。
自分で決めた事は、散歩でした。ちょうど一駅遊歩道になっていました。
後はもう、時間薬です。何でもない日常の中、急に泣きたくなるのです。独りなので、気兼ねなく
声を出して泣きました。
不思議な程、2~3分泣くと気が済むのです。感情は、飽きっぽい。でも、しつこい。私は、泣いている自分を遠くで観察している。そんな感じでした。
私は、この感覚を知っていました。幼い頃、喘息発作を起こしている時です。
余りにも苦しいので、苦しんでいる自分を遠くから別の自分が見ている。
勿論、空想の中のお遊びです。でも、気が紛れるのです。良く多重人格の話を読みましたが、本当に
もっと深く行くとそうなる気がします。
多重人格は、幼い頃の虐待が原因と言われています。
まだ、自我が、確立していない時にそう言うことをすると、自我が分裂するそうです。
私は、そこまでいかなかったけど、何となく理解出来るのです。
私は、泣きたくなったら、泣き、数分で気が済み、又泣くと言うサイクルを繰り返していました。
そして、そのサイクルの感覚が少しずつ長くなるのです。これが、時間薬と云うものか。
普段は、仕事で気が紛れるのですが、日曜日は辛かったです。日課にしていた散歩は、宇宙から私を眺めている感覚を空想しながら歩きました。
人間が死ぬのは、当たり前の自然現象。そんな感覚になれれば楽になる。だから広大な宇宙から、ちっぽけな自分を見る。しかも、身体を動かすから
余計に良い。
確信は、ないけどそうやって月日を重ねてきたのです。
次回は、インド哲学との出会いです。
本日も、有り難うございました。