発達障害とは? パート2

私の父は、頭痛持ちでした。
東京で宝石商をしていたので、お盆とお正月だけ帰省していました。
いつも、眉間にシワを寄せ、サロンパスを額に貼っていました。アイスノンをしながら過ごしていました。

私は、父の体質を受け継いだのか、頭痛に悩まされていました。気圧の変化に弱く、アイスノンで頭を冷やしていました。
小学生の頃から頭痛は、ありました。年に1回大きな
偏頭痛の発作がありました。

予兆は、閃光でした。目を瞑ると、ギザギザの
稲妻が見えるのです。目を開けるとピカソの絵の様に輪郭が欠損しているのです。
「気持ちが悪い」としか表現出来ませんでした。

この症状は、30分位で治まりました。それから酷い偏頭痛が始まるのです。必ず、嘔吐します。1年に1回の頻度でしたが、完全に横になって休んでました。
成長と共に、軽い偏頭痛に変化しました。閃光は、今もありますが、嘔吐は無く30分休んでいると治まる様になりました。

足が、弱かったので、よく転んでいました。
色々不自由でした。

でも、私を悩ましていたのは、これらの事では無かったのです。

私は、音と光、皮膚感覚に敏感だったのです。
光は、フラッシュが、苦手でした。閃光が、偏頭痛の発作をイメージする為、嫌いでした。

皮膚は、ハンドクリームとか、匂いも嫌いでした。今は、昔程ではありません。でも、お化粧は、好きでは無いです。
子供時代の「桃の花」と云う保湿剤、テンカフ
等、苦手でした。

それより、私を最も悩ましたのは、音でした。
急にする音が、ダメでした。トースター、レンジのチン。踏み切りの遮断機の音。運動会の
ピストルの音、花火の音。工事現場の音

そして、他の人は、平気で、私だけがそうだという事がショックだったのです。
自我が目覚め始めた頃。私は、誰にも打ち明けられず悩んでいました。

親、兄弟にも、誰にも知られたく無い。生活そのものが、脅かされていました。
元々、身体が弱かったので、活動範囲は狭かったのですが、益々内に籠る様になりました。

楽しみは、読書でした。本の中にいる時だけが
安心出来る時間だったのです。

ただ、不思議な事に段々気にならなくなってきました。すっかり忘れていた時、子供の発達障害の本を読みました。

そこには、私を悩ましていた同じ症状の記述があったのです。ああ、もっと早く知っていたら
あんなに悩まなくて済んだのに。

私は、喘息の持病だけは、残っているものの
今、ダブルワークをしています。
腰痛はあるけど、上手く付き合っています。
人間は、変わるもんだと本当に思います。

あの頃の私に、心配しなくても大丈夫と言ってあげたい。
産婆さんに「大人になるまで生きられない」と言われていたのに、今年還暦を迎えました。

本当に、人間は、変化する。余計な心配は、勿体無い。毎日、毎日を楽しく生きたい。
還暦を迎えたら、本当にそう感じます。

本日も有り難うございました。