父からの電話

会食の明くる日、父から電話がありました。
いきなりお叱りの電話でした。
まず、会食後、お礼の電話が無いから始まりました。

私も、父の性格から、電話をした方が良いと解っていました。でも、せっかく良い雰囲気の会食で終わったので、電話したく無かったのです。

電話すれば、色々言われそうな気がしていました。
なんの事はない。電話してもしなくても、結局は
プレッシャーかけてくるのは、同じでした。

父が1番気に入らなかったのは、結婚が決まったら夫婦で北海道に挨拶に行くのが常識。
そう言うのです。

それは、私も、突かれると痛い所でした。私自身、
まだ、ヨシさんの境遇に対する理解が足りませんでした。

今なら、ヨシさんの言っている事がとても解ります。
彼にとっては、自分の生き方に対する聖域でした。
彼は、世間的には、気楽な自由人と映ったと思います。でも、だからこそ自分に厳しかったのです。

特に、世俗的に生きられない。そこだけ世俗的に
自分に都合よく変えられない。

もし、私達が結婚の報告に北海道まで行けば、当然
ヨシさんの親戚関係が、何もしないわけには行かなくなる。それが、日本社会の掟です。

だから、その前に帰省して、結婚するつもりと報告したのです。私とは、結婚後、落ち着いてから
挨拶に行く。彼なりの筋の通し方でした。

その時の私は、どうしてよいか解らず、ヨシさんと相談してみると言って一旦電話を切りました。


私は、すぐにヨシさんに電話しました。ヨシさんは、私が、父に言われる度に揺れる事にショックを受けました。

こんなことで揺れるなら、結婚辞めよう。と言うのです。自分と一緒になるという事は、これからも
沢山そういう事があると。

そして、父の電話番号を教えてくれ。自分が、電話するからと。
私は、自分で父に電話するからいいと断りました。
これは、私と父の問題だと感じたのです。


私は、折り返し父に電話しました。説明しても解らないと思いましたが、彼なりに筋は通していると。

父は、声を荒げて激怒しました。「解った。俺か彼か、どちらかを選べ!」

私は、不思議な程冷静でした。何をこの人は、こんなにも怒っているのだろう。

たかだか挨拶に行く行かないが、親子関係にヒビが入る程の事?
この人は、これまで私の何を見てきたんだろう?
この選択は、ヨシさんか、父かではなく、私か世間の慣習か、に感じました

この時程、父を遠くに感じた事はありませんでした。

私は、とても冷静に「解りました。私は、彼を選びます。」


一瞬の沈黙の後、父は、興奮して「解った。今後お前は、○○家とは無関係だ。親戚にもそう伝えておく。もう、縁を切るからな。」
そう言うと受話器をガチャンと切りました。

私は、終わった
と、思いました。ただ、ホッとしたのです。
これで解放された。
自分で意識していなかったのですが、父に呪縛されていた自分を感じました。

父と一緒に生活していなかった分、私は、父に認められたい気持ちが強かったのです。

父と何か話をしている時、私は、「でも、こういう考え方もあるよね。」と聞くのです。

そう言う時は決まって「あるけど、それは少数派。皆が考えている常識が一番大切。」そう答えるのです。

私は、いつも心の中で「私は、その少数派なんだけどなぁ。」と呟くのです。

私は、折り返しヨシさんに報告しました。「今は、カッとなっているから勘当だと言っているけど
それは、時間が解決してくれるから。」

と答えました。

私は、産まれて初めて父に逆らいました。その後、兄貴から電話があり、父がショックで寝込んでいる。とりあえず、謝っておけと言われました。

私は、手紙を書きました。撤回は、しないけど、言い方が悪かったと。これまでの事に感謝している。

私は、父の怒りの中には、父なりに夢を見ていたのではと思うのです。
フリーターで経済力がない。普通の親ならここは、一番引っ掛かる所です。
父はそこは、問題視していなかったのです。何故か?
父は、宝石の商売をしていました。身内に継がしたい想いがありました。兄は、違う道を進みました。

もしかしたら、ヨシさんに継がしたいと考えていたかもしれません。

あくまで想像ですが、会食でガッカリしたのでは。
ヨシさんは、商人向きではありません。話をすればそれぐらいは、解ります。


私達の結婚のスタートは、こうして始まりました。
次回をお楽しみに。
本日も、有り難うございました😄