2012年5月22日、パート4

5月22日の朝がやってきました。私は、咳が酷くて何度か夜中にトイレに起きました。
昔から、風邪をひくと、トイレが近くなるのです。

台所にトイレがあり、ヨシさんは、夜半過ぎから
台所の椅子に座ってまどろんでいました。

私は、声かけすることなく、朝を迎えました。6時半過ぎに目を覚ましました。台所に行くと、
ヨシさんは、変わらない体勢でぐっすり寝ていました。

あれ?苦しい息使いがない。寝る前に私は、漢方薬を煎じて飲ませたのです。顔がスッキリしている。
こんなに安らかに熟睡している姿を見たことがない。

私は、薬が効いたんだと思いました。「薬効いたみたいね。又、煎じるから、起きたら飲んでね。」
声かけしましたが返事がありません。

暫く、ちゃんと寝ていなかったから、起こさない様にしよう。私は、そう思って朝食の食パンを準備し
居間に持って行きました。
食べながらふと、疑問に思いました。

あれだけ息が荒かったのに、静かすぎる。息?
している?

私は、急いで、台所に引き返しました。息をしていなかったのです。

受話器を取って救急車を呼びました。それから
ヨシさんの身体を揺すったり、声をかけたりしました。
仮死状態かもしれない。身体がまだ冷たい気がしなかったのです。

普通は、「何で?」と思うかもしれませんが、私は、「やっぱりそうだったんだ。」としか浮かびませんでした。

ヨシさんは、肉体から解放されて、
ホッとした表情をしていたのです。

救急車が到着するのが長く感じました。救急隊の人は、ヨシさんを見て首を横に振りました。

「もう亡くなっています。」取り敢えず近くの総合病院に運ばれました。

自宅で亡くなっていた為、警察にも通報されました。病院で待機していたら、警察官が来ました。

「病院にかかっていないし、自宅で亡くなっているから、変死扱いになります。詳しい死因を調べる為に解剖するかもしれません。承諾書に、サインを
お願いします。」

まさかの展開です。私の風邪の状態みれば判るでしょう。風邪をうつされたと説明しているのに、、

渋る私に、死亡届けが出せないと言われてしまいました。

私は、ヨシさんの死に顔を思い出し、この人は、肉体から解放され、魂はこの肉体には無いと自分に言い聞かせました。

ヨシさんは、すぐには帰れないと知らされ、私は、警察官と自宅に戻りました。現場検証と言うやつです。飲ませた漢方薬、キムチを乗せた牛丼の残り
を写真に撮りました。

私は、その間にも、咳込み、涙でぐちゃぐちゃでした。警察官は、帰りました。

私は、グッタリしていましたが、会社に電話して
事情を説明しました。仕事を預かっていたので、
戻しに会社に行きました。

段々身体は、キツくなる一方でしたが、喘息発作が無かったのです。
正直、何もかもどうでも良くなっていました。

このまま逝ってもいいかな。先の事は、何も考えられません。ただ、未だやることがありました。
ヨシさんを見送るまでは、持ちこたえないといけない。


私は、ヨシさんの言うとおり、葬式はやらないと決めていました。私の身内は、全部終わってから知らせよう。

ただ、ヨシさんの兄弟には知らせなくては。
千葉に長兄がいました。一番接触があり、ヨシさんの性格を理解していました。

他の兄弟は、北海道、秋田、で、高齢です。ヨシさんのお兄さんだけ知らせ、葬式はしないと説明しました。

続きは次回にします。
本日も、有り難うございました。