私の東京物語、パート2

私は、12月一杯で会社を退職しました。1月に、一度上京し、兄貴に手伝ってもらい、部屋を決めました。直ぐに上京したかったのですが、父から、ストップがかかりました。

父は、時期とか方角を気にする人でした。
いつも、相談する占い師がいたのです。2月下旬以降の引っ越しが良いと言われたそうです。

私は、宙ぶらりんな状態になりました。少しでも軍資金が必要ですが、田舎に短期アルバイトは、ありません。妹が大阪に暮らしていました。ちょうど仕事を辞めた後だったので、私達は、短期アルバイトに交通量調査をやりました。

忘れもしない2月22日に上京しました。私は、25歳でした。
決めていた学校は、夜間の週一でした。

今から32年前は、田舎の時給が420円でした。東京の時給が700円位が標準でした。不動産関係の事務が800円だったのです。

私は、不動産関係の事務員を探しました。直ぐに見つかると考えていたのです。
多い時で、1日3件面接を受けました。


池袋のサンシャインビルの○○階に面接に行きました。私は、面接する会社の名前を把握していなかったのです。カタカナだったから解るだろうと考えていました。所が○○階には、カタカナの名前の不動産会社が3個ありました。

困ったなぁ。まあ、間違えたらその時だ。
でも、ビンゴでした。
面接は、一対一でなく3人でした。面接官は、5~6人。アチラコチラから質問が来て、あっという間に終わりました。


面接が、終わってから、スーツ姿の人が私に「不動産関係は、怪しい会社も沢山あるから気を付けて。うちの会社は、ちゃんとしているけど、余り勧めないよ。」と言うのです。

私の雰囲気で、田舎娘と判断したのでしょう。
でも、良いアドバイスでした。ちゃんとした不動産会社からは、ことごとく不採用でした。
アパートから歩いて5分の不動産会社から採用の電話が来ました。

でも、本当に怪しげな会社だったので、断ったのです。

中々仕事が見つからない中、学校は、馴染めません。私は、宝石に興味が無かったのです。回りは、皆、宝石が好きで眺めているだけで楽しい人ばかりでした。

私は、不動産関係の求人は、諦めました。色々な事務員を探しましたが、年がもっと若い人を望んでいたようです。

私は、取り敢えず、コンビニのバイトを決めました。一方では、新聞の片隅の求人を見ていました。
着物の仕立てに目が釘付けになりました。

続きは、次回に。
本日も、有り難うございました😄