私の両親、パート2

あれは、私が小学校低学年だったと思います。母の親戚が沢山来ていました。父も、帰省していました。
父方の祖母もいました。

葬式でもないのに何だろう?私は、妹と遊んでいました。親戚の一人が、「子供達は別の部屋に連れて行った方が良くない?」と言いました。
「まだ、幼いから大丈夫だよ。」
そう言ったのです。

私は、遊んでいるふりをしながら、耳を傾けていました。

「さて、はじめるか。」誰かの掛け声でそれが始まりました。

父が、これまでの母の裏切りに我慢が出来ないから
離婚をしたいと話しました。

裏切りとは、宗教の事でした。親戚の人が色々話をしていました。内容は、覚えていません。
最後に、父方の祖母が、母を庇いました。
「今後、私が宗教をしないように監視するから、私に免じて赦してやって。」と、父に頭を下げたのです。

この当時、祖母と同居していました。祖母は、嫁として母を気に入っていました。
将来的に、母に面倒を見て欲しいと思う程、頼りにしていました。

それどころか、入信こそしていなかったけど、一緒にお経をあげたり、宗教やっている幹部の人に悩み事を相談していました。

昔から母は、子供と老人には、好かれていました。ただ大人とのコミュニケーションは、難しかったと思います。私達も、子供時代は、良い母だと思いました。

でも、思春期になると母とのコミュニケーションが難しかったのです。
母の自我は、信仰の教えと同化している。ピュアで
余りにも世間知らずだったのです。

思春期は、大変でした。モデルになるべく、大人がいなかったのです。

それはさておき、祖母の一声で、その場は、収まりました。さすがの父も、自分の母親に頭をさげられたのですから。私は、祖母に感謝しました。

妹は、大人になってから、この話をしても、記憶にないと言いました。

それからも、宗教戦争は、続きました。
とは言え、父が帰省するのは、お盆とお正月。

40代は、商売の枠を広げ、ブラジル、アメリカに
店を出し、一年の半分をブラジルで過ごす様になりました。

私が、2年遅れて高校に行き、2年生の時だと思います。実家の引っ越しがありました。
私が産まれ育った家は、母の実家の土地でした。
前から、家を建てたいと思っていたようです。

実家からバス停ひとつ離れた場所に建てたのです。
田舎にしては、おしゃれな建物を建てました。

自分用の和室を、離れに作りました。家を建ててから、父は、以前より帰ってくる様になりました。


母は母で、本当に宗教を脱退する決意をしました。
集会所が遠くなるし、幹部の人に相談しました。
宗教心は、変わらないけど、活動は辞める決意をしたのです。近所の人も新しくなるから、引きずらなくてすむ。2~3年位してから、事件が起こりました。続きは次回にします。

本日も、有り難うございました😄