私の東京物語、パート3

私は、新聞の求人に目を奪われました。着物の仕立て。
電話して、さっそく面接になりました。神田駅に
ある古い一軒家でした。男の先生でした。技術を教えながらなので、給料は、4万円。腕次第であげてくれると言う話でした。

もう一件、面接しました。3年間5万円の給料でした。

私は、考えました。やはり手に職をつけたい。
生活は、出来ないけど、父に相談しました。
父は、やりたいのなら生活費を援助すると言ってくれました。

神田の方に決めました。4万円からだけど腕次第では、上げてくれると言うから、そちらにしました。

専門学校を出ているとは言え、プロの仕事は、殆ど役に立たない。半月は、運針の日々でした。

お針子は、私を入れて4人。もう一人、私のすぐ後に入り、住み込みでした。
私も、住み込みを進められましたが、せっかく
アパートまで借りたのですから、その気になりませんでした。

ここまで来たら、もう宝石の学校は、行く意味がありません。学校とコンビニのバイトをやめました。


私は、神田の和裁所を3ヶ月で、辞めて、もっと大きい和裁の会社に移りました。
給料、9万5千円位だと思います。父は、家賃だけ援助してくれました。
家賃は、3万6千円の6畳。

勿論、風呂無し、陽当たりも悪かったのです。
以降、5年間社員として、残りの23年間は、外注として仕事をしてきました。

トータル28年間は、無我夢中でした。

私は、上京して、数ヶ月で生涯を左右する大事な人と出会ったのです。

次回は、その出会いからお話します。

本日も、有り難うございました😄