ある日のラジオ
私は、ヨシさんが亡くなってから、少しずつ日常が戻ってきました。
引っ越しをしてからも、自宅で仕事をしていました。毎日、ラジオを聞いていました。
ヨシさんとの最期の4日間は、ヨシさんが私に死に様を見せてくれたギフトと思っていました。
そうとはいえ、時々頭をよぎるのは、これで良かったんだろうか?と言う想いでした、
あの時、無理矢理でも、救急車を呼んでいれば助かったのだろうか?
ただ、ヨシさんは、他にも色々身体に問題を抱えていました。
ある日、ラジオを聞いていました。武田鉄矢の番組でした。
「死に逝く者の邪魔をしてはならない。
食事を摂らなくなるから死ぬのではなく、死ぬ準備として、食事が摂れなくなるのだ。」
私は、ハッとしました。
私は、ヨシさんが生きている時から、この人は、長くないと予感していました。
私は、ヨシさんの死に顔が余りにも安らかなので、亡くなっていると気が付かなかったのです。
私は、涙を流しながら、これでいいのだ。と思いました。
東北の大震災の時、生き残った人が罪悪感に苦しんでいると言う話をよく聴きます。
でも、私は、それは、違うと思います。死者がそれを望むとは、思えない。
むしろ、バトンを渡され、死者の人生を託されていると思うのです。
私は、あの4日間にヨシさんの生き様を感じました。
あの苦しい息遣いをリズムをつけて楽しもうとしていたのです。
私は、ヨシさんのその様に圧倒されて言葉が出ませんでした。
「この人は、何て凄い人何だろう。」感動すら覚えました。
もし、病院に入院していたら、この経験は、無かったと思います。
私達の間に、医療の力が入るのです。私は、そこに逃げる事が出来て、安全です。
ヨシさんと言う人が、その世界を望むとは、思えない。彼なら、自分の死に様を眼をそらさず見なさいと言うでしょう。
私達は、言葉を交わさず沈黙の4日間でした。でも、あれだけお互いに向き合って心の会話 をしたのは、初めてかもしれません。
だから、私は、ヨシさんの最期のプレゼントだと思っています。
この続きは次回にします。
本日も、有り難うございました😄