正義について、パート1

私は、正義と云う言葉が苦手です。
悪には、後ろめたさがある。でも、正義は、自分が正しいと思っているから、容赦がない。
正義の人は、悪い人を攻撃する。攻撃されても仕方がない大義がこちらにはある。

そう云う私は、かつて正義の塊でした。
10代の頃、武者小路実篤に傾斜しました。
何て清らかな美しい人間像なんだろう。
当時「幸福者」と云う本を何度も読み返しました。主人公が、自己犠牲の塊の様な人でした。

最後、悲しい結末だったと思います。
私は、当時貯金をしていたなけなしのお金を母に寄付しました。多分300円前後(笑)
母は、「有り難う」と言って受け取りました。

私は、少しだけ「気持ちだけで良いわ。」と云ってくれる事を期待しました。(笑)

当時小遣いは、小学校1年生で月100円、2年生で200円というように学年がひとつ上がるたびに100円上げてくれました。

あんパン1個10円の時代です。クラスでお小遣い調査をした時、低い方でした。

でも、私は、正義の人です。次にした事は、お小遣い半分の申し出でした。
それには、理由がありました。祖母がノイローゼになり、独り暮らしが難しいと、我が家に転がり込んで来たのです。
我が家の経済は、大変になると子供心に思いました。

この時も、母は喜んでこの案を受け入れてくれました。私は、正義の人なので、自分の行為に酔っていました。(笑)

こうして私は、正義を目指して成長していきました。
ガチガチの正義の人が、自分の正義に疑問を持つ様になったのは、高校生になってからです。

ちなみに少ない小遣いのやりくりは、母に足りない分は、つけ払い(借金)にしてもらい、お正月のお年玉で払いきっていました。
勿論、正義の人の私は、ノートにきちんとつけてました。お年玉は、親戚が周りに沢山いたので、貴重な臨時収入でした。お年玉は、親から貰わないで
親戚から貰っていました。

さて、私の正義が揺らいだ話は、次回にします。
お楽しみに。
本日も有り難うごさいました。