正義について、パート2

私は、色々あって、高校を2年遅れて入学しました。

私の住んでいる実家は、田舎でした。高校の種類が少なく、通える範囲では、2つしかありません。

ひとつは、水産高校だったのです。
私は、もうひとつの学校に行きました。8クラスある大きな学校でした。
偏差値35点。頭の良い人から、ギリギリの人まで成績の幅が大きかったのです。

時代的に既に学校崩壊が、始まっていました。
いわゆる不良と云われる人が、半分位。

リーゼントにダボダボズボン。女子は、パーマをかけたり髪を染めたり、長いスカートが流行ってました。
そして学校には、2つの派閥がありました。
生徒会の顧問の先生と生徒指導部の顧問の先生。

生徒指導部の先生は、いつも生徒をチェックしていました。髪を染めていないか?スカートが長くないか?
抜き打ちのチェックに、カバンの中を調べました。

一方、生徒会の顧問の先生は、いつも人権を主張していました。
指導部の先生が、行きすぎたチェックをすると、怒鳴り込んできました。

廊下でも、お構い無く言い合いをしていました。
その風景が、当たり前でした。
私は、密かに指導部を応援していました。

私は、正義を愛していました。生徒の言い分は、とても幼く、子供じみていました。

ただ、生徒会の顧問の先生は、とても良い先生でした。私の友達は、生徒会に入っていたので、よく皆で先生の家に遊びに行っていました。

先生は、離婚して独り暮らしで、飲んべえでした。
今なら、問題になるかもしれませんが、生徒も、よく一緒にお酒を飲んでました。

もうひとつ、学校の有名人が、校長先生と教頭先生でした。
学校の先生の人気投票(こういうものをやってました。)一位が、校長。2位が、教頭だったのです。

校長先生は、誰よりも早く学校に来て、格言を書いて、校門に張り出していました。毎日違う格言です。そして、誰よりも遅くに帰りました。

部活が好きで、陸上部を覗いて一緒に走っていたと聞きました。校長室は、いつでも生徒が出入り出来るようにオープンにしておきますと、先生自ら言っていました。

教頭先生は、化学の授業をしていました。現場が大好きでした。私も、先生の授業を受けていました。

このままいけば、私の正義は、揺るがなかったと思います。
先に校長先生が定年、明くる年、教頭先生が定年になったのです。
続きは、次回にします。お楽しみ下さい。