正義について、パート3

続きです。私が2年生の終了式に校長先生は、定年退職しました。校長先生は、涙ぐみながら、
スピーチしました。
他の先生も、涙ぐんでいました。

指導部の先生も、生徒会顧問の先生も、お互い対立していましたが、どちらの先生も、校長先生が大好きでした。

校長先生と教頭先生も、仲が良くてお互いニックネームで呼びあっていました。

3年は、進学クラス、普通クラス、商業クラスに分かれていました。成績関係なく希望を出せば良かったのです。

私は、和裁の専門学校に行くと決めていました。
受験はしません。
でも、騒がしい授業にウンザリしていました。
ひとクラスしかない進学クラスを選択しました。

そのクラスの化学を教頭先生がやっていました。
授業は、とても面白いモノでした。

さて、本題に戻ります。新しい校長先生が赴任してきました。特に変化は、無かったのです。

数ヶ月してから、生徒会の顧問の先生と指導部の先生の言い合いが消えました。
名物のようにやりあっていた風物詩が見られなくなりました。

何故か、指導部の先生が強くなりました。規則が少しずつ増えていきました。

私は、無関係でした。私の学校生活は、最初の1年は、馴染めなくて苦労しました。
でも、慣れてきてからは、それなりに楽しかったのです。

ひとつ不満は、一生懸命勉強し頑張っている生徒より、規則違反をし、授業妨害する生徒の方が、先生は、可愛がっている。

熱心に関わっている。今なら、それで良いと思います。あの頃は、指導部が強くなるのは、良い事と思っていました。

新しい規則が出来ました。女子の髪の長さが肩に触れない長さにするでした。但し、理由があれば考慮する。父兄も巻き込んで話し合いする。

ショックでした。私は、密かに髪の毛に願掛けをしていました。
私が、高校に入ってから、姉がアメリカに留学しました。
私は、安全祈願として留学が終わるまで髪の毛を切らないと決めていました。

髪の毛を伸ばしてはいけない理由が笑えました。
髪の毛を触って授業に集中出来ないと云うモノでした。髪の毛をしばれば良いだけの話です。

元々の校則に、長い髪はひとつにくくるとありました。私は、いつもひとつにくくっていました。

進学クラスは、3人髪の毛を伸ばしていました。
それぞれ理由がありました。
一人は、お茶を習っている。発表会の為伸ばしている。
一人は、みこさんになる。伊勢神宮に就職する。

私は、願掛けは、恥ずかしく別の理由を考えました。
この話が出たのは、3年生の2学期です。
私は、2年遅れて入学しました。

3月生まれだったので、卒業前に成人式がありました。着物を着る(その気は無かったけど)理由をこじつけました。
続きは、次回にします。
お楽しみ下さい。