寄り道してしまう私。パート1

私の中に寄り道してしまう自分がいる。
何故か判らないが、目的地を設定しているのに
寄り道する。

道に迷うのとは、違って、一応ゴールらしきモノは、分かっているのです。

最初の寄り道は、中学卒業してからです。
この時は、ゴール設定は無かったと思います。
私は、高校に行く気が無かったのです。

幼少時より身体が弱く、集団で行動する事が困難でした。私の物指しは、体調が良いか悪いかしか
選択肢が無かったのです。

好きな事して良いと云われたら、一日中でも本を読んでいました。
他人にどう思われるかが欠落していました。

私の中に他者は存在していなかったのです。
かろうじて親、兄弟がいました。少しだけ近くにいた友達。後は、全て無関係な存在でした。

始めは、普通に進学を考えていたと思います。中学を卒業が近くなるにつれ又この集団生活と考えると
憂鬱になってきました。

勉強も好きで無かったのです。試験で0点を採った事もあったと思います。
今、思うと両親はどう考えていたのでしょうか?

私が進学しない意志を伝えた時、特に賛成も反対もしなかったのです。

私は、親がどう思うかさえ考えるだけの余裕は
有りませんでした。自由になれる。それだけだったのです。

何もしない訳にはいかない。それだけは、解りました。
私は、手に職をつけて、自分のお小遣い位は
稼いで、自由な時間は読書三昧出来る。単純にそう考えていたのです。

あの時代は、編み機が流行ってました。私は、祖母の家に下宿させて貰い、半日編物教室に通う事になったのです。

教室は、花嫁修業で通っている人が2~3人。私は、憧れの図書館を見つけ、足しげく通いました。

私の喘息は、潮風に反応していました。
祖母の家は、山の方。喘息は全く発作が起こらなくなりました。

私は、同年代の交遊が欲しくなりました。体調が良くなると、行動範囲が狭い事にストレスを感じる様になりました。

祖母に依存されている事にもストレスを感じました。

私は、高校受験を決めました。結局、神奈川の高校を受験し落ちました。
最終的には、三重県の地元の高校に2年遅れて入学しました。

これが、最初の寄り道でした。
それ以降も、私の寄り道人生は続きます。

続きは、次回にします。お楽しみ下さい。