葬式について パート2

私が初めて葬式に参加したのは、小学校4年生位と記憶する。

母方の祖母だった。家から、歩いて5分かからない所に祖母は、住んでいました。記憶の中の祖母は、脳軟化症(今でいう脳梗塞)で、殆ど伝え歩き、言語障害、介助が必要な状態でした。

でも、毎日乳母車に乗せられて、我が家に来て、夕方帰る。寝たきりになるギリギリまで、そんな感じでした。

あの時代、病院で最期を迎えると言う感覚は、ありませんでした。
当たり前のように、家族に看取られ亡くなりました。

死は、特別な事では無かったのです。昭和40年代の田舎は、土葬でした。(今は、流石に火葬になりました。)
いわゆる野辺送りと云うものです。

私は、畳に寝かされている祖母を見ました。
耳に綿が詰められていました。子供達(母の兄弟の事)が、手分けして死に化粧をしていました。

化粧した祖母を見たのは、初めてでした。

私は、不思議な感じがしました。もう、目を覚ます事がないんだ。

祖母に対する思い出は、毎日家に来ていたけど、会話は出来ませんでした。

コミュニケーションは、私が、友達を家に呼ぶと、畳を叩き帰れコールをしました。

機嫌が悪いと畳を叩き、唸り声を挙げました。
機嫌の良い時は、着物のたもとにお菓子を入れて
くれました。

好きとか、嫌いとか、そういう感情はなく、存在感は、ありました。

次の記憶は、縦になった棺桶に小さくなった祖母が収まっていました。

この時、子供達(母の兄弟の事)が、泣いていました。母も、泣いていました。大の大人が泣くのを見て不思議な感じでした。

次の記憶は、大人達が、黒い服を着てお坊さんがお経を挙げていました。子供にとっては、退屈な時間でした。でも、私にとっては怖い時間でした。

いつも、愛想よく○○ちゃんと名前を呼んでくれる大人が、一斉に黒い服に身を包み泣いている。

大人の違う一面を見せられた。葬式は、怖い。
私は、そう思いました。

そして、男達が皆で棺桶を担ぐ。この記憶は、本当の記憶か、テレビで見たものか曖昧です。

ただ、墓を掘って棺桶を入れたのは、記憶しています。
後に母に聞いたら、墓堀を仕事として頼んでいる人がいると言っていました。

普段、酒ばかり飲んで何もしていないから、墓堀をお金を出して頼んでいると聴きました。


その後も、祖父、おばさんと、土葬でした。私が東京に行ってからは、火葬になりました。

今の葬式は、まさにセレモニーです。強烈な、死と云うものをいかに受け入れやすいものにするか。

だから、葬式は、生者の為にあると感じるのです。
遺された者のショックを和らげる為にある。

私は、それで良いと思います。死者への最大の供養は、遺された者が、前向きに生きる事。本当に愛があるなら死者は、そう願う筈です。

本日はこの辺で、有り難うございました😄