寄り道してしまう私。パート4

私は、和裁の専門学校卒業後、身体を壊し、
一年位入退院を繰り返していました。
1年のブランク後、電器会社に社員として入社しました。

物心ついた頃、父は東京で宝石商を営んでいました。父は、お盆とお正月に帰省して来ました。
父親のイメージは、亭主関白。綺麗好き。頭が良い自分にも他人にも厳しい人。こんな感じです。

この頃の我が家は、母との離婚話が浮上していました。
父は、帰省しなくなりました。私と妹とで温泉旅行を計画し、そこで父と合流していました。

その時も箱根だったか、友達も混ざり遊んでいました。
父が突然「ところで、お前はこれからどうする?」
と云うのです。
進路の話でした。

どうするもこうするも、私は、1年間宙ぶらりん状態で、やっと電器会社に落ち着きました。

仕事にも慣れ、楽しく働いていました。入社して
2年近く経っていました。

意味が判らず沈黙していました。「このまま一生電器屋か?そろそろ東京に出て来ないか?」

父の計画は、こうでした。父は、宝石商だから、その辺の事は、助けられる。私が商売に向いていないのは、理解している。
職人として、宝石作るのはどうか?
父には、つてがある。横浜で職人育てながら
仕事をくれる人がいる。

ゆくゆくは、父の会社のサイズ直しとかしてくれれば良い。その人に当たってみても良い。

私は、心が動きました。電器屋の仕事は、午前中一杯は、荷物の棚入れがあり肉体的にキツかったのです。時々、喘息発作もありました。
病院に注射を打ちながら出勤していました。

いつも、低血圧、体重は40キロ行かずキツかったのです。このままずっと続けられるか不安はありました。

新しい生活に躊躇は無かったのですが、経済の不安に耐えられ無かったのです。
実家での生活は、楽でした。
でも、ちゃんと行く道が出来ているならのるか。

私は、決めたら行動は早いのです。温泉旅行から帰ってから、会社を辞める時期を決めました。
1ヶ月前には、言わなければならない。
ちょうど11月だったので、12月一杯で辞めると部長に伝えました。

会社は、大騒ぎでした。後任の人との引き継ぎもありました。

私の中では、着々と進んでいました。

そんなある日です。父から電話がありました。
何だか歯切れが悪いのです。よくよく話を聴くと
当てにしていた知人は、女性は採らないと云うのです。

「え、もう具体的に決まって話を持って来たのではないの? 私、上京するから会社辞めると伝えたよ。」と言いたかったのですが、私は、無言でした。
余りにも驚いて声も出なかったのです。そうだった。父は、悪気は無いけど、かなりいい加減な所があった。

気分で、動くし周りも振り回す人だった。
父は、確認する様に「東京には、出て来るよな。」
と言うのです。

私にも、意地がありました。こちらの動揺を悟られない様に「当たり前でしょう。会社も今年一杯で辞めると伝えたよ。」

電話を切ってから、私の頭は真っ白でした。
職探しからスタートかい。(笑)
まだ住む場所も決まっていないのに。

私は、25歳でした。
続きは次回にします。お楽しみ下さい。