私の壁

私が、ヨシさんと付き合い始めた頃、両親の離婚話が、具体的に進んでいました。私達が付き合って2ヶ月後、両親は正式に離婚しました。

私は、離婚事態ショックはありませんでした。
ただ、私の内側に、ヨシさんがどんどん入ってくる事に、抵抗していました。

これまで誰も私の内側に入って来なかった。

私は、自分で意識していなかったのですが、父親を美化していました。一緒に生活した事が無く、
今回の離婚原因も、母にあると考えていました。

ヨシさんは、客観的に見て違う視点を持っていました。私には、受け入れられなかったのです。

私の内側は、現実から解離していました。自分の居心地の良い空想の世界がありました。その世界を壊されたく無かったのです。私の中の父は、スゴい人でした。

それに加え、仕事のストレスもありました。不器用な為、仕事の直しが多く、職人の世界は、厳しかったのです。残業が当たり前の世界でした。

これまで、距離があった父親も、時々電話をしては、色々なプレッシャーをかけてきました。
父は、着物の仕立ての仕事を評価していなかったのです。
私の不器用な部分をついてきては、合っていないと言うのです。

父は、御徒町で宝石商をしていましたが、小田原に住んでいました。

私は、父親に遊びに来ないかと誘われると行きました。土曜の夜に泊まりがけで行き、日曜日に帰る。

そして、その後、ヨシさんと会う。いつも、そこで喧嘩になるのです。
私の神経は、ピリピリしていました。私は、これまで自分の感情を人にぶつけたことは、余り無かったのです。


兄弟喧嘩も、子供時代でおしまい。母とは、宗教関係で喧嘩しても、かなり感情を押さえていました。
なのに、ヨシさんには、自分の感情が押さえられなかったのです。


私は、抵抗しました。自分の感情がコントロール出来なくて、よく泣きました。ヨシさんは、冷静で、
余計に腹が立つのです。

日曜日に喧嘩をして、月、火、水、木と悶々して金曜日は、疲れて何も考えられず、土曜日になると
会いたくなる。会いたくて会いたく、悶々する。

そんな繰り返しでした。喧嘩も私が1人で怒っているだけで、相手になりませんでした。

私は、葛藤しながらも自分の欠けている部分を思い知らされました。大人になりきれていない自分を受け入れ初めたのです。

私は、ありのままの自分でさえ受け入れて無かったのです。身体が弱い事実でさえ周りの人に言えませんでした。ヨシさんと付き合い始めてから、言えるようになったのです。


勿論、楽しいデートもありました。コンサートに行ったり、伊豆大島にキャンプに行きました。

そんな日々を過ごしながら、2年が過ぎたのです。
続きは次回です。
本日も、有り難うございました😄