寄り道してしまう私。パート3

私は、和裁の専門学校に行きました。一年ずつ入学金を払っていました。
ひととおり習うなら4年かかりました。カリキュラムがあったのです。

私は、4年間行く気がしなかったのです。一番予想外だったのは、教材でした。実際の着物を縫う訳ですから。
安いポリエステルを選んでました。でも、カリキュラムがありました。
着る、着ないに関わらず製作しなければいけません。
何枚かは、親戚の人の仕立て直しをしました。
母の古い着物を仕立て直しました。


就職率100%のパンフレットは何だったの?
洋裁科の事だったのです。

私は、和裁の専門学校を卒業後、あちらこちらの呉服屋に電話をしました。
勿論、たかだか2年習った位で、自分で出来ません。呉服屋で仕事を貰ったら、個人の和裁教室に
行くつもりでした。

ところが、どこの呉服屋でも、専属の仕立て屋がいたのです。

私は、諦めて地元の電器屋に勤めました。製造の方でした。
それでも、未練があったのか、夜間の個人でやっている和裁教室に通い始めました。

1日2~3時間位。週4日。これが、後に専業で28年間やるとは、想像も出来ませんでした。

しかも東京で。

私の上京のきっかけは、父でした。今、考えると、これもメチャクチャな話でした。

私は、和裁をするために上京した訳では無かったのです。
私の上京のきっかけになった父の話は次回にします。お楽しみ下さい。