寄り道してしまう私。 パート6
私は、2月22日に上京しました。アルバイト探しからスタートです。
今から34年前の話です。当時、田舎の時給は420円でした。東京の平均は、700円台。800円は高めで
不動産関係の事務でした。
私は、ことごとく断られました。最終的には、
スーパーに決まりました。
私は、体力が無かったので立ち仕事を辛く感じました。
一方では、宝石の学校に面白味を感じませんでした。周りの生徒は、宝石を見ては熱心に先生に質問していました。
ある日、新聞の求人欄に目を奪われました。
着物の仕立て屋の求人でした。
しかも、2ヵ所もあったのです。
私は、面接に行きました。ただし、給料は、4万円でした。住み込みもありました。
技術を教えてくれると云うモノでした。
私は、住み込みする気は無かったのです。辞めたら
住む場所も無くなります。
私には、とてもハードルが高かったのですが、父に相談しました。どうにか手に職を付けたい。
父は、あっさり生活費の援助をしてくれました。
私は、学校とスーパーを辞めました。
でも、先輩の話を聞くと、ここから仕事を貰って
自活している人はいないと云うのです。
私は、通いながら職安で給料の良い和裁の会社を見つけたのです。
1ヶ月9万6千円の固定でした。
これだ!
私は、父に相談しました。父は、4万だけ仕送りしてくれました。
こうして、私は、和裁にたどり着きました。
この時、26歳。
4年間の周り道でした。
この後、私は、28年間仕立て屋をしました。
その間に結婚をし、死別しました。
再婚する前に、仕立て屋を卒業したのです。
色々な事があり、離婚し、介護の仕事をする事になりました。
介護の仕事も辞めて、今は知的障害者のグループホームのナイトケアに勤めています。
寄り道シリーズは、一旦終了しますが、
まだまだ、ゴールが解りません。
又、寄り道するかもしれません。
お付き合い、有り難うございました。