私の両親、パート3

私は、高校を無事卒業し、和裁の専門学校に実家から通っていました。父は、ゴールデンウィークで、帰ってきてました。

私は、友達と漫画の同人誌をやっていたので、夕方家に帰りました。

家に帰ったら、空気が張りつめていました。
父と母が、無言で立っていました。

父は、居間に佇み、母は、カウンターの向こうの台所にいました。
父が、「もう離婚するしかないな。」
と、一言言いました。

「そうね。」母が、何の感情もなく返事をしました。私は、こんなに投げやりな母を、初めて見ました。

母は、凄い決意で、宗教を辞めたのです。本当に数年、活動をしていなかったのです。
何も知らない宗教友達が、お誘いの電話をしてきたのです。父が、電話に出ました。

その後は、又裏切ったと言う押し問答だったのでしょう。父は、何度も繰り返し裏切られているから、信じる事が、出来なかったのです。

でも、母は、本当に辞めた事を信じて貰えなかったのです。勿論、私が言っても無理でした。

この時、私は、20歳でした。いつも離婚の危機は感じてました。離婚する事実より、本当にショックだったのは、こんなに冷めていたのかと言う事でした。

私は、父と母の関係を美化していました。自分勝手な妄想で、現実を見ない様にしていました。

この時の母の態度が、ふてぶてしく感じました。
今なら、母の気持ちが解りますが、この時は、私自身子供でした。

ここから、始まり現実的に離婚するまで6年間かかりました。ただ、この日を境に父は、帰って来なくなりました。生活費は、これまで通り送って来ました。父は、55歳で離婚をし、2年後に再婚しました。

二人とも、もう鬼籍です。

私が上京してから、お尻の骨を骨折した事がありました。入院する事なく、自宅療養だったので、母がしばらく上京して、身の回りの事をしてくれました。その時、父が見舞いに来ました。

二人が再会するのはあの時以来です。
父は、再婚していました。妹が、彼がいるのに中々結婚しないことに、二人で心配していました。
母は、再婚した父をなじっていました。父は「仕方ないだろう。」と言いました。

なんだか、かつての夫婦に戻った会話でした。母は、認知症になってから離婚理由が、宗教問題と言う事を忘れていました。ただ、離れて暮らしていたからと言う事が理由になっていました。

そして、父の悪口は、けして言わなかったのです。
父は、79歳で他界しました。それは結構、ショックだったようです。そして、同じお墓に入ると思い込んでいました。

その母も、去年亡くなりました。私は、色々な葛藤が、あったにせよ冷めた関係でも無かった事に安堵しました。

私は、父と母の子供で良かったと思います。
次回は、私と宗教について語りたいと思います。

本日も、有り難うございました😄