父の死

私とヨシさんは、色々ありながらも、結婚して19年の月日が経っていました。

父は、和解のきっかけになった胃癌から、体調不良が増えました。会社もバブルが弾け、かなり厳しい状況になりました。

2011年の事です。父は、原因不明の痛みに悩まさていました。アメリカに住んでいた姉が、久しぶりに帰国することになりました。
飛行機のチケットまで取っていたのにあの震災がありました。3月11日でした。

姉は、3月下旬に予定していたのに、飛行機が飛ばなかったのです。
こればかりは、仕方がないです。

結局、2ヶ月先に伸ばして帰国しました。その時の父は、歩くのもしんどそうでした。奥さんと一緒に食事をしました。体重もかなり減っていました。

姉は、涙ぐみながらバグしてアメリカに帰っていきました。その後、父は入院してしまいました。


父は、入退院を繰り返し、その度に検査の為手術をし、原因が判明しませんでした。

私は、私で風邪をひいてしまいました。喘息発作を繰り返し、病院の見舞いに中々行けなかったのです。

少し良くなって見舞いに行った時は、薬の副作用で口内炎が酷くて、余り会話が出来ませんでした。

奥さんが、先生に呼ばれて席を外し二人きりになりました。

私は、どう言葉をかけてよいか解らず、
無言で足を擦る事しか出来ませんでした。

足は、浮腫んでパンパンでした。この時の診断は、菊池病と言う聞いたことが無いものでした。ステロイドで治療していると聞きました。

父は、西洋医学を信じていました。人間ドックにも必ず行きました。薬も、きちんと飲んでいました。

周りが、セカンドオピニオンを勧めても、全く耳を貸しませんでした。

私達は、延命治療は望まないと家族で話し合って
決めていました。私達兄弟は、覚悟をしていました。
そして、本当の病名が判りました。
悪性リンパ腫でした。


もう一度、見舞いに行くと決めていた朝です。義姉から電話があり、亡くなったと知らされたのです。

私は、覚悟をしていました。全ては夢の中の出来事のようでした。死に顔を見た時、始めて大量の涙が出ました。アメリカから、姉も駆けつけてきました。

葬式の時です。棺に入っている父の顔が笑っているように感じたのです。私の気のせいかと思ったのですが、姉も、「笑っている。」そう言ったのです。


私は、不思議な程涙が止まりませんでした。
これは、父のギフトだ。そう思ったのです。

それでも、人間というものは、不思議です。いつの間にか日常に戻っていくのです。


この時は、更なる運命等知るよしもなく、当たり前の日常に戻り、この日常は続くものだと思っていました。
続きは次回にします。
本日も、有り難うございました😄